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「真田丸」石川数正の徳川裏切りはそう間違ってない

大河ドラマ『真田丸』
 第14回「大坂」作:三谷幸喜
【ついに秀吉勢登場!】
 時は天正13(1585)年、真田昌幸(草刈正雄)は数え年39歳、長男・信幸(大泉洋)20歳、次男・幸村こと信繁(堺雅人)は推定15(1571年生まれ説の場合。従来説は1567年生まれで+4歳)
 
(うるう)8月、上田合戦で真田一族はみごと徳川家康(内野聖陽)の軍を破りました!
ただ、家康は一度であきらめることはありません。増援して再び攻め込もうとしていました。
ところが!
1113日、徳川家の家老筆頭である石川数正(伊藤正之)が、突然出奔し関白秀吉(小日向文世)の側についてしまったのです。これには家康はもちろん、普段冷静な謀臣の本多正信(近藤正臣)も驚愕です。野球で言えば、20年ぐらいの長期にわたって選手指導やサインの内容など作戦全般に関わっていたヘッド・コーチがいきなりライバル・チームに行ってしまったようなものですから、もうまともに合戦するのも困難です。徳川勢は慌てて退却。このドラマでは、昌幸の弟・真田信尹(のぶただ 栗原英雄)が、徳川の浜松城に監禁されつつも謀略を巡らしていた…という展開です。
関白秀吉は、徳川征伐を公言するほどになります。
 
ところが、ところが…!
それからまもない1129日、天正大地震が勃発…!
秀吉側の被害が甚大で、こちらも合戦するのが難しくなってしまいました。
秀吉対家康の決戦は立ち消えに。。。
 
 翌年春。
このころ秀吉は全国各地の大名を続々上洛させて忠誠を誓わせていました。
大名ではない昌幸のもとにも、上洛命令が!
昌幸はひとまず先送りに。。
 一方で、上杉景勝(遠藤憲一)のもとで人質のような出仕のような生活を送っていた信繁は、景勝とその寵臣・直江兼続(村上新悟)に伴なって上洛することになりました。
 

大坂への道中、景勝一行は、出迎えにきた石田治部少輔(じぶのしょう)三成(山本耕史)と初めての対面。くしくも関ヶ原の石田側が揃いました。しかしなぜか三成は、信繁を紹介されても無視を決め込んでます。あとで信繁は「人を不快にさせる何かをもっている」と評しましたが、兼続は「堅苦しいところはあるが、実に頭が切れる。ああ見えて、熱い男よ」このドラマの兼続と三成、タイプが似ていて史実通り()親友になれそうな感じです()

信繁は三成と気が合わなそうでしたが、大坂城内で会った茶々(後の淀のかた 竹内結子)からは「わりと好きな顔!」などと言われて、気に入られました。
信繁が一室で一人で待っていると。。 にわかに秀吉が飛び込んできて屏風の裏に隠れ、信繁を招きました!
 
 



 ドラマがもっと楽しくなる!
大河ファンのために(=^^=)
【石川数正の徳川裏切りはそう間違ってなかった】
 今回のドラマで家康の重臣中の重臣、石川数正(?~1592)が離反し、関白秀吉の味方につきました。数正は裏切り者として描かれ、数正自身、後悔している様子でしたが、実際はどうだったのでしょうか?
 
石川数正が初めて秀吉と会ったのは、天正11(1583)年5月のことです。その前の月、秀吉は柴田勝家と合戦し、勝利していました。徳川家の外交も担当していた数正は、その戦勝祝いの使者として、秀吉を訪問したのです。その翌年、小牧・長久手の合戦で家康と秀吉が戦ったあとも、数正が和議の使者を務めました。つまり、数正は当時の徳川家中の誰よりも秀吉を知っていて、秀吉の脅威も魅力も実感している人物でした。数正は、秀吉と対立することの危険性を徳川家中で訴えたようです。しかし、頑固な徳川軍団は耳を傾けず、それどころか数正を一斉に非難。数正は両家の板挟みになってしまいました。一説には、こうした状況を利用し、秀吉は数正を調略した…ともいわれています。
 
当時は主従の忠義の観念がまだまだ薄く、数正の徳川離反はさほど非難されるような行動ではありませんでした。明智光秀のように主君を殺害にまで追い込んでしまうと当時でも悪く言われましたが、下剋上の風潮が続いていた世の中です。そんななか、だまし討ちをしたわけでもなく、数正はやむなく主替えをしたにすぎませんでした。そもそも、家康は明智謀反の実例を知っている上に、そのまえの武田重臣の離反行為をじかに見てきたし、さらに自分の祖父・清康も家臣に殺されてしまっているくらいですから、重臣離反は力量不足によるものだと痛感・自戒していたかもしれません。
 
【貧しい徳川家臣筆頭から豊臣10万石大名へ…! そして国宝を遺す】
 さて、後世の私達から見ると、徳川が最終的な勝者だと知っているので、数正は道を誤ったと思いがちです。しかも、息子たち石川康長・康勝・康次がそろって大久保長安の不正事件に連座して慶長18(1613)10月に所領没収、家系断絶の憂き目に遭っていることもあって、いかにも自滅したかのような印象を広めています。
 
よく数正は秀吉に調略されただけで重用されなかったといわれるのですが、実際には秀吉から8万石とも10万石とも言われる待遇を受けました。数正が移籍した天正13(1585)年当時、徳川でそれほどまでの石高を持った武将は、一人もいません。
天正18(1590)年の小田原の合戦後、ようやく「徳川三人衆」井伊直政(15611602)12万石、同じく榊原康政(15481606)本多忠勝(15481610)10万石になりました。家康次男の結城(ゆうき)秀康でさえやっと10万石。
石川数正と並んで三河の「両家老(両旗頭)」とまで呼ばれた重臣筆頭・酒井忠次(15271596)は、2年前にすでに隠居し、息子の家次がたった3万石です。他の武将は、小田原を治めることとなった大久保忠世が4万5000石、徳川きっての忠臣・鳥居元忠の4万石がちょっと目立つ程度です。たとえ石川数正が徳川にいたとしても、恐らく酒井家と同じ3万石ほどしかもらえなかった可能性が濃厚だった…と言えそうです。
 
家康は、一般的なイメージの通り、ケチでした。
家臣団の最高峰・徳川三人衆を見ても、家康の特別のお気に入りだった井伊直政だけは関ヶ原の合戦後に18万石に加増されましたが、榊原と本多はすえおき。それどころか、武闘派の活躍の機会がなくなり、のきなみ寂しい晩年を送っています。むしろ、徳川に尽くした武将のほうが、内部政争で排除されたり、さんざん使い尽くされたりで、あまりいい目を見ていません。
 
石川数正は、いち速く10万石の大台を達成し、武者奉行という役目も与えられました。
そのうえ、数正から嫡男・康長にわたって信濃の松本城の築城を行ない、これは現代に至って国宝の指定を受けました。充分に充実し成功した一生だったと思います。
 
【戦国史に語り継がれる珍事…! 数正の息子が真田丸伝説に貢献した】
 数正没後の関ヶ原の合戦で息子たちは徳川に味方し、松本を保持。しかし、先述のように、のちに改易されました。
おもしろいことに、数正次男の康勝は、大坂冬の陣で真田信繁の真田丸に籠もりました。12月4日、真田丸を中心に戦闘が激化。その最中、康勝の手下の者が火薬箱にうっかり火縄を落としてしまい、火事が発生、康勝は火傷。しかし、なんと、その火事の煙を見た徳川軍は、あらかじめ内通を約束していた豊臣大名の南条元忠があげた狼煙(のろし)だとカン違いします。城に強攻を開始した徳川軍は、真田信繁たちによる壮絶な銃撃を受け、大敗北を喫したのでした。
数正の息子は、妙なことから歴史的役割を果たし、大坂の陣の蔭の立役者となったのでした。
 
  ~主な参考文献~
「戦国の大地震」天正の大地震と慶長元年の大地震など清水しゅーまいブログ:201123年3/22付記事
平山優『真田信繁 幸村と呼ばれた男の真実』(角川選書)p.71~、243257~、339
編:阿部猛・西村圭子『戦国人名事典 コンパクト版』(新人物往来社)
編:小林計一郎『[決定版]真田幸村と真田一族のすべて』(KADOKAWA)p.53~、98112~、217
歴史群像シリーズ22号「徳川四天王」(学習研究社)p.50~、56~、74~、102~、125
山本純美『徳川家臣団事典』歴史群像シリーズ22号「徳川四天王」特別付録(学習研究社)
NHK大河ドラマ・ストーリー「利家とまつ 加賀百万石物語」前編(NHK出版)p.61
歴史群像シリーズ11号「徳川家康」(学習研究社)p.54~、70~、83~、85~、90142
 
 

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コメント

No title

上田合戦が見応えありすぎて、前回は脱力してました^^

実は、茶々記憶喪失の姉の見分けが咄嗟につかなかったのは、ここで吐き出し^^;

ALL(*´∀`)ノ★ぽち

No title

そうなんだ、徳川家康は家臣から信頼されていたと見聞きしていましたが、今回の家康はすごくたのしいですね
いろいろ参考になります。
お陰様でより楽しく見る事ができます
ナイス

No title

こんばんは。
後々徳川が天下をとったので数正さんに関しては良く言われないし、伝えられていないですよね。

No title

見ていましたテレビよりもっと丁寧な 解説 ナイスです

No title

☆栞さん
ALLぽち大感謝です('-'*)
上田合戦のあとの新シーズンのような展開で
新しい登場人物いろいろ出てきましたね!

たしかに竹内結子と木村佳乃はタイプが似てるような気がしますね(^ ^)
たぶん三谷幸喜の好みなんでしょうww
それにしても 記憶喪失のお姉さんどうなっちゃうのか…
視聴者の記憶のほうがあやしくなってしまいますね(゚∀゚)

No title

☆みっちゃんさん
徳川家康、筆頭重臣に離反されてしまいました
大変な不覚だったと思いますが
おいおい軍政刷新や家中の引き締めのため
苦い経験を活かせたようなので
やはり並々ならぬ人物です(^ ^)
真田丸の家康はおもしろ味ありますよね♪

No title

☆ハニー先輩さん
石川数正…、
家康の人生の序盤~中盤の最大功労者だと
言えるほどの名将なのに
すっかり悪者になってしまいましたね…!
徳川創業に欠かせない人物だったこと、
忘れられないで欲しいです!

No title

☆ぎいさん
ナイスどうもありがとうございます(=^▽^=)
ドラマで気になる話題があった時などに
読んでためになる記事になっていれば嬉しく思います(^ ^)

No title

下剋上の戦国時代の生き方は本当に難しかったと思います。

自分たちは 歴史のその後を知った目線で見てしまいますが
その当時の人々は未来がどうなるかなんて わからなかったのですから。

No title

お梅ちゃんが主演の今期クールのドラマの宣伝を見て、
最近は大河の主役級も掛け持ちするのね!と思っていたら、
あっさりと亡くなって、あ~やっぱり(笑)

男性軍も個性的だけど、女性軍がみんな突拍子もない感じで面白いですね。
これから好きな時代に!!
真田側から見る大阪の陣がほんと楽しみ~!

オールポチ☆彡です(^^)

No title

☆ばねぱんさん
ナイス!どうもありがとうございます(^-^)
ここ1週間ほどドタバタしていてお返事遅れてしまいました(^ ^ゞ

下剋上の世で生き抜くには
本当の強さを持っていないと無理そうだし
様々な能力が問われそうですね。
現代の歴史常識や価値観で見てしまうと
ヘタすると間違った教訓が広がる恐れさえあるので、
その当時の人々の視点に立つことを大切にしたいですね…!

ばねぱんさんの連載拝見にのちほどうかがいます(^ ^)

No title

☆Parlさん
オールポチどうもありがとうございます(^-^)
ここ1週間ほどドタバタしていてお返事もご訪問も
遅れてしまいました(^ ^ゞ

お梅ちゃん、他のドラマで主演なんですね
素朴な感じであまり主役というタイプではないように
思っていたのですが
だいぶ注目されてるんですね…!

これから豊臣対北条を経て
上田(関ヶ原)や大坂で大暴れですね~(^∀^)
女性もいろいろ、真田兄弟の妻たちを筆頭に
淀殿や阿茶局など、いっぱい活躍の機会あるので
期待高まりますね~!

夜になってしまいそうなんですが
Parlさんの記事拝見にうかがいます(^ ^)

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清水しゅーまい

Author:清水しゅーまい
ご訪問ありがとうございます(^-^)
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①大河ドラマや歴史の話題、②猫観察、③映画鑑賞、
④裁判傍聴、⑤日本酒など……という感じになっております。
その他、本やテレビ、お気楽な話題に時事問題、
そして、友情・人情・心意気です!

猫愛好家のフリーなライターです

清水しゅーまい
【著書】
『車猫が出てきた! ~ノラ猫の秘密~』2018年(東京図書出版)
『八っつぁんの落語一代記 噺家の来た道、日本の来た道』2015年(彩流社)
このブログを含めてcopyrightは清水しゅーまいです。
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