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「軍師官兵衛」人質松寿/小寺政職の末路と不肖息子

大河ドラマ『軍師官兵衛』
 第12回「人質松寿丸」
【松永爆死/親心と松寿丸の覚悟】
 1577(天正5)年、黒田官兵衛(岡田准一)は数え年32歳。
8月、大和国主の松永久秀(ミッキー・カーチス)織田信長(江口洋介)に反旗を翻しました。しかし、久秀居城の信貴山(しぎさん)信長の嫡男・信忠(中村倫也)が率いる軍勢2万3000に攻め込まれ、1010日…、久秀は信長が欲していた名物「平蜘蛛(ひらぐも)茶釜」を手に、火薬に点火し爆死したのです。久秀子息、13歳と12歳の人質は信長によって斬首。。。
 
信長は謀反に備え、官兵衛たちの播磨でも人質収集に力を注ぎます。本来ならば主君・小寺政職(まさもと 片岡鶴太郎)がその息子・斎(いつき 相澤侑我)を人質に出すのが当然です。が、政職は我が子がかわいく、また、実際に病弱ということもあって手放しません。このままではせっかく築いた羽柴秀吉(竹中直人)との信頼関係が崩れかねません。
官兵衛が自分の10歳の息子・松寿丸(後の長政 若山耀人)を代わりに人質に出そうかと悩んでいると、妻・光(てる 中谷美紀)は大反対。すると、当の松寿丸が。。。
 
 


 
 
  歴史話☆彡
【小寺政職の末路と不肖息子】
 このドラマでは「ここは…思案のしどころじゃのぅ」が決め台詞で子煩悩、どこか憎めないところのある小寺政職(こでら まさもと)
 
その政職はのちに毛利側に鞍替えするのですが、1579(天正7)10月の有岡城陥落1580(天正8)年1月の三木城降伏を受け、同年2月に御着(ごちゃく)城を捨て逃亡してしまいます。かつて織田側を困惑させ官兵衛を死の窮地に陥れたものの、べつだん毛利側に積極的に貢献したわけではなく、とくに何の援助も受けることができず夜逃げするしかなかったようです。司馬遼太郎の『播磨灘物語』は小説なのでどこまで事実か分かりませんが、この作品の中で政職は毛利から家禄を得ようとします。が、断わられ、「中国所々に流浪」(『黒田家譜』)します。そのあげく、なんと、官兵衛に助けを求めました。この厚かましさには驚かされます。政職は官兵衛づてに秀吉、さらに信長から許しを得ようとし、呆れられました。何の役にも立たないのに名門意識が強い人間を家臣にしようなどと信長が考えるはずもなく、それでも官兵衛からの熱心な嘆願を受けて信長は「どこへなりとも、住め」という沙汰をくだします。その後、政職は農業や商業に手を出したらしいですが、何もうまくいかず、備後の鞆(とも)のあたりへ流れ着いて暮らし、1582(天正10)年に病没。
 
ドラマで斎(いつき)という幼名で呼ばれている嫡男・氏職(うじもと)は、金子堅太郎『黒田如水伝』によれば、「不肖にして、人質たるに適せざれば…」という人物でした。前出の『播磨灘物語』ではもっとはっきりと「うまれつき知能が遅れていたために自活して食べてゆくことがむずかしい」と書かれています。
官兵衛は、この氏職に400石を与え、家臣のような客分のような扱いをしました。この氏職のあとは氏職の子供かどうかよく分からないんですが、関清職という者が継ぎ、さらにその次の貞職の代に100石に減らされています。が、家はなんとか続いていったようです。
あさましいようなたくましいような生き様です。
 
  ~主な参考文献~
小和田哲男『黒田如水』(ミネルヴァ書房)p.62106308
本山一城『黒田軍団 如水・長政と二十四騎の牛角武者たち』(宮帯出版社)p.d
司馬遼太郎『新装版 播磨灘物語()(講談社文庫)p.218
 
 


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コメント

No title

そうなんだぁ~^^

こういう話をきくと ドラマがまた 面白くみれますね^^

No title

☆サッチさん

没落していく武将って 人間くさくて悪くないです(笑)
人生の反面教師です(゚∀゚)

No title

こんばんは。
そんな事になっていたのですね。
どうして官兵衛の嫡男が人質になっていたのか判らなかったですが、
なるほど!

No title

☆ハニー先輩さん

主君の子供がいわゆる知的障害であれば官兵衛もやむをえなかったのでしょうね。
もっとも、小寺政職のことなので、ウソついていた可能性もありそうですが(^ ^;)

No title

どのような子供であっても、親は可愛くて仕方がないのですね。

No title

>備後の鞆

足利義昭が京都を追放された後に住んでたところに流れたってのが、なんとなく気の毒・・・

天正10年か~信長が死んだ後ならリベンジチャンスあったかもですね。
でも子供が病弱だと難しいかな?

ALL(*´∀`)ノ★ぽち

No title

お初にお目にかけます。率爾ですが今後とも宜しくお願いします。

戦国の小勢力としてはどっちつかずというのが正しい生き残り方なのですが、もはやそれも通じない時代になりつつあったのでしょうね。とにかく政職の一連の行動が信長に不信を抱かせ、官兵衛は逆に信用を勝ち得てゆくと。

No title

☆Sophiaさん

そうですね、自分の子供だったら障害があってもかわいかったんでしょう。
官兵衛はもう他人にもかかわらず
没落した主君の障害ある子供(すでに中年)を
引きとったのは大したものだと思います。

No title

☆栞さん
ALLぽちどうもありがとうございます(=^▽^=)

備後の鞆…、
有名没落者の集まる地なんでしょうかねぇ(゚∀゚)

本能寺の変のドサクサで小寺家が立ち上がらなかったのは残念ですけども
嫡男が病弱で無理だったのか
官兵衛がとめたのかもしれませんね(^ ^)

No title

☆ドクトルKさん

初コメントどうもありがとうございます(^-^)

そうですね、戦国の小勢力としては、真田昌幸などのように
少々曖昧な道でいければベターでしょうね。
小寺政職は宇喜多直家のようにもっと自分の重要性をアピールできればよかったのでしょうが、
官兵衛に任せ過ぎてすべて持ってってしまわれた感じですね。

No title

小寺家の子孫といわれる女性の方が「小寺のバカ姫 くーみん」というキャラクターで播磨の広報をされていますね。

No title

☆姫路の女王♀さん
小寺家の子孫のかたがそんな自虐的なキャラクターで広報をしているなんて
初耳です(笑)
涙ぐましい(?)ですね(^ ^)

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清水しゅーまい
【著書】
『車猫が出てきた! ~ノラ猫の秘密~』2018年(東京図書出版)
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