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「八重の桜」大学設立熱意/襄、京都でも必死の演説

大河ドラマ『八重の桜』
 第47回「残された時間」
【大学設立の熱意】
 1888(明治21)年、八重(綾瀬はるか)は数え年44歳、兄・山本覚馬(かくま 西島秀俊)61歳、新島襄(オダギリジョー)46歳。
 
元旦に心臓発作を起こした襄ですが、大学創立に向けてがんばっていました。徳富蘇峰(中村蒼)が主筆を務める日本初の総合雑誌「国民之友」(民友社)に、襄と福沢諭吉を並べて論じる記事が載りました。評判になり、外務大臣の大隈重信(池田成志)から募金を呼びかける集会をしてはどうかと声がかかり、東京へ! 集会には、初代外相の井上馨(かおる)三菱社長の岩崎弥之助(弥太郎の弟)第一国立銀行頭取の渋沢栄一など、そうそうたる顔ぶれが!
  襄「大学設立の目的は、一国の精神となり、柱となる人々を育成することにあります」
 
襄の熱意が伝わって3万1000円、現在の価値で億を超える寄付金が集まりました!
勝海舟(生瀬勝久)とも会いました。
  海舟「志を全国に訴えて国民の力を借りてつくっちゃどうだい。1人から1000円もらうのも、1000人から1円ずつ集めるのも、同じ1000円だ。徳富がいるじゃないか、数万人の読者がいる」
 掲載原稿「同志社大学設立の旨意」の執筆を始めた襄。ところが、八重は医師から「襄の心臓は治る見込みが無い」との診断を伝えられたのでした。。。 襄は「怖いのは死ぬことではない。覚悟も決めず、したくもできぬままに、突然命を断たれることです」 そうは言ったものの、事実を伝えられ、焦燥する襄。。。
 
 


 
 
  歴史話☆彡
【新島襄、必死の演説】
 ドラマには出てきませんでしたが、1888(明治21)年には新島襄は京都でも大々的な集会を計画し、その時に仏教徒と摩擦が起きています。
 
襄は京都の知恩院で明治専門学校(徳富蘇峰の意見でまもなく同志社大学に名称変更)の設立主旨説明会を開くことを決め、府知事の斡旋や寺側の許可も得ていました。ところが、にわかに浄土宗の信徒数十人が知恩院にやって来て、寺の執事に対して「耶蘇教の大学校を設立するための集会に、もったいなくも我が浄土宗総本山を貸し渡すとは甚だもって不都合千万の次第」と、抗議したのです。この抗議によって寺の責任者と信徒総代(有力檀家)の争いになり、信徒総代が「我々は一命を棄てても今夜この寺を焼き払う」と詰め寄るまでの騒動に発展しました。しかし、寺側が「いったん貸すと決めたこと、今さら取り消すこともならず」と冷静に対応し、翌日4月12日、何とか集会開催に至りました。
 
襄は重病をおして会場に現れ、演説を始めました。聴衆は府知事や府会議員、会社頭取や財産家などの有力者600人以上で、新聞記者も多数。演説の主旨は、次のようなものでした。
「…大学は文化の源、否、一国のもといと申して苦しからず…、およそ一国の開明を進めんとなれば…、大学がなければなりません…、実に一国の元気となり、精神となり、また柱石となりうべき人物を養成せねばなりませぬ…、人民の手によって…、私立一大学を起こし…、これ襄が生涯の志願にして、死しても、斃(たお)れてもやまざるところの願望でござります」
 さらに襄は政府による帝国大学だけに頼らず、人民の手で私立大学を起こすことが大事だと強調しました。襄の熱意は人々に伝わったことでしょう。同志社大学設立は襄にとってまさに死を賭しての一大事業だったのでした。
 
  ~主な参考文献~
吉海直人『カメラが撮らえた新島八重・山本覚馬・新島襄の幕末・明治』(中経出版)p.110
吉海直人『新島八重 愛と闘いの生涯』(角川選書)p.219
山下智子『新島八重ものがたり』(日本キリスト教団出版局)p.86~、91
吉田曠二・坂井誠『八重・襄・覚馬 ‐三人の出会い‐』(芸艸堂)p.160
 
 


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コメント

No title

こんばんは~~~~
同志社は頭のいいイメージしかなかったんですが、これを見てるといろいろ考えさせられますね。
襄に限らず、梅子も福沢諭吉もそれぞれの思いを抱えて大学設立に動いたと思いますけど・・・
ALLポチ

No title

☆とん子さん
ALLポチどうもありがとうございます(^-^)

ぼくは東京の人間なので同志社になじみがなかったんですが
このドラマのお蔭で身近に感じられるようになりました。
と言っても 入学は学力的に無理そうですが(笑)
明治の頃の大学創立者も起業家も、
情熱的でパワフルな感じですね…!

No title

檀家から焼き打ちすると言われても、一旦貸すと決めたからには断れないと冷静に対応したお寺さん、えらいですね! そもそも襄に演説会場を貸そうと決めた時点で、宗教の違いを越えて、教育の必要性や襄の信念を理解して、覚悟を決めていたんでしょうが……アメリカに密航したときといい、いろいろな協力者を得られたことも、襄の優れたところなんでしょうね。私は今回、すっかり、同志社のファンになってしまいました。ミーハーです……

No title

あと 気になるのは 襄の病です。

大学設立を見届けられたのでしょうか^^

No title

こんばんは。
やはり自分の死を知ってまでも理想を追求するのは凄いですよね。
いよいよ八重の桜もあと少し。

No title

☆saihikarunogoさん

檀家から焼き払うとまで言われたら会場貸出を取り消してもおかしくなさそうですが
寺の人、覚悟を決めてくれたようですね(^ ^)
寺でキリスト教系大学の設立説明会を開くなんて
ちょっとヘンな感じですが 宗教の違いを超えて
便宜をはかってくれたというのは、親切心とか柔軟性感じられて
地味ですがいい話ですよね。
困った時にいろいろ協力者を得られたのは
確かに新島襄の人徳と言えそうです(^∇^)

No title

☆サッチさん
ナイスポチありがとうございます(^∇^)

襄、今にも亡くなりそうでしたね…!
大学できるのを何とか見届けてほしいです!

No title

☆ハニー先輩さん

死が迫っているのを知ってからも働き詰めで
ものすごい情熱を感じますね…!
八重の寿命はまだまだなのに
どう〆るのか目が離せませんね!

No title

京都でも軋轢が( ゚д゚)ンマッ!!

当時なら、未だ公民館とかないから人を集めれられる大きな建築物って寺院関係しかないですもんね^^;

(-ω-;)ウーン 自分もイキナリ死期を知ったら焦る・・・
まだ記事にしてない国人が山ほどいるぉ~

それにしても個人が大学を作るって凄い大変なことなんですね^^;
大河を見るまでは、同志社は最初から大学スタートだと思ってました^^;
(だって教科書には同志社大学設立としか書いてない^^;)

村ナイスヽ(*´∀`)ノ★ぽち

No title

☆栞さん
村・ナイスぽちどうもありがとうございます(=^▽^=)

そっか…、当時は区民ホールみたいな集会所がまだ無いんですね。
お寺の存在がだいぶ重要だったことになりますね。気づきませんでした(^ ^ゞ

新島襄のように「もういつ死んでもおかしくない」っていう
告知はショックでしょうね。
もっと具体的に死期を早めに知れるぶんには
人生設計が立てられていいと思うんですが…
「あと国人5人記事執筆で死亡確定」とかだったら対象がしぼれますね(笑)

ぼくも同志社が当初は大学じゃなかったとは
このドラマを見るまで知りませんでした。
初めのうちは一体何だったんでしょうねぇ?
高校なのか寺子屋なのか…?
ドラマを欠かさず見ているのに疑問が尽きませんww

No title

同志社が、当初明専の名で作られようとしていたとは、初めて知りました!!

今の九州工業大学(父の母校)の前身、明治専門学校の名づけの親は山川健次郎だそうですよ。

襄のアイデア、頂いちゃったのかな?

No title

☆chacoさん

明治専門学校、九州にできていましたか…!
しかも山川健次郎に縁があるとは~

襄もそうだったと思いますが
「明治」というのを大学名に付けたかったんでしょうね(^ ^)

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清水しゅーまい

Author:清水しゅーまい
ご訪問ありがとうございます(^-^)
 このブログは、
①大河ドラマや歴史の話題、②猫観察、③映画鑑賞、
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その他、本やテレビ、お気楽な話題に時事問題、
そして、友情・人情・心意気です!

猫愛好家のフリーなライターです

清水しゅーまい
【著書】
『車猫が出てきた! ~ノラ猫の秘密~』2018年(東京図書出版)
『八っつぁんの落語一代記 噺家の来た道、日本の来た道』2015年(彩流社)
このブログを含めてcopyrightは清水しゅーまいです。
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