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「八重の桜」ヌエ八重/健次郎も無念の思案橋事件

大河ドラマ『八重の桜』
 第37回「過激な転校生」
【鵺八重と熊本バンド】
 1876(明治9)年、八重(綾瀬はるか)は数え年32歳、兄・山本覚馬(かくま 西島秀俊)49歳、新島襄(オダギリジョー)34歳。
八重と襄の新婚生活が始まりました。洗い物も裁縫もする襄。「私と八重さんは平等であり対等です。それより…、ジョーと呼んでください。グッモーニング八重さん」そう言って朝のチュウを!
 
その年の秋、集団でキリスト教に入信し迫害を受けていた熊本洋学校の生徒達が大挙転校してきました。彼らは結束の強さから、熊本バンドと呼ばれることになります。熊本バンドは成績優秀・大胆不敵で、ハイカラな八重を(ぬえ)呼ばわりし、襄の授業のレベルの低さに抗議してくるほどでした。
 
 この年、3月に廃刀令が出され士族の不満が爆発。1024日に熊本で神風連(しんぷうれん)の乱、同月27日に福岡で秋月の乱、同月28日に山口で萩の乱と、次々勃発しました。さらに、同月29日、東京。元会津藩家老 山川浩(大蔵 玉山鉄二)の屋敷に、巡査の佐川官兵衛(中村獅童)斎藤一こと藤田五郎(降谷建志)が突然聴取に踏み込んできました。十数名の会津藩士が日本橋の船着き場で警官を斬り殺したというのです。犯人の中には、山川浩の幼なじみ竹村幸之進(東武志)がいたのでした。士族の反乱はまだ治まりそうにありません。
 
 


 
 
  歴史話☆彡
【山川健次郎も悔しがった会津士族反乱未遂・思案橋事件】
 会津藩の後身・斗南(となみ)藩は廃藩置県(1871明治4年)のためすぐ無くなりましたが、当時の指導者は、大参事 山川浩(大蔵)と、2名の少参事 広沢安任(やすとう)・永岡久茂が務めていました。この中の、永岡久茂が、今回のドラマに出てきた会津士族による反乱未遂事件の首謀者です。あの事件は、思案橋(しあんばし)事件と呼ばれています。
 
永岡久茂は、廃藩置県後に青森県に仕官して田名部(たなぶ)支庁長を務めましたが、まもなく上京します。その後、海老原穆(ぼく)という薩摩人と「評論新聞」を刊行し、反政府運動を推進しました。さらに、新政府から下野した長州人の前原一誠(いっせい)と組み、政府転覆を謀りました。
1876(明治9)年、前原一誠からの極秘電報を受けた永岡は、行動を開始。1029日 夜、永岡は同じく元会津藩士の竹村俊秀(幸之進)・中根米七・中原成業・井口慎次郎らとともに東京日本橋小網(こあみ)町の思案橋から船に乗って千葉に向かおうとしました。千葉県庁を襲撃する計画だったのです。ところが、船宿の主人が怪しんで日本橋警察署に通報してしまい、警官4人が急行してきて格闘になりました。中原や井口らが抜刀し3人を斬りましたが、1人を逃がし、警鐘を乱打され警官が集まってきて捕縛に至りました。格闘の最中、永岡は気の毒にも間違って井口に斬られ、その傷が原因で翌年1月、鍛冶橋で獄死しています。享年38歳。
 
この政府転覆計画は、千葉県庁を襲撃したあと、佐倉鎮台(陸軍師団)の兵士を味方につけて日光から会津に進撃し、「萩の乱」で奮戦中の前原一誠と呼応して、明治政府を東西挟撃するという壮大なものでした。船宿の主人に怪しまれたせいで発覚したように思えますが、実は事件前夜に永岡の書生である平山圭一郎・根津金次郎が警視庁大警視の川路利良(かわじ としよし)に密告しており、すでに露見していたのでした。
 
 会津人の多くは思案橋事件を知った時、永岡を非難するどころか 同情したそうです。山川浩の弟の健次郎(後の東京帝大総長)も、むしろ 密告者である平山・根津を「裏切り者」として憎んだそうです。会津の遺恨の深さが分かります。
 
  ~主な参考文献~
星亮一『会津戦争全史』(講談社選書メチエ)p.234
『日本全史(ジャパン・クロニック)(講談社)
『読める年表 幕末維新明治』(自由国民社)
 
 


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コメント

No title

こんばんは。
熊本バンド、いきなり嵐の様な感じでしたね。
彼らの傲慢な姿勢は、キリスト教的にはどうなのかな~って(^^;
まあ八重さんが跳ね返すのが楽しい感じです。

来週は西南戦争ですね。
警官隊に編成される抜刀隊、佐川さん達が参戦される感じですね。

No title

熊本バンド、過激ですね
ホントにキルスト教信者なのでしょうかね

熊本時代の教師、L.L.ジェーンズを調べてみましたが
アメリカ陸軍の軍人で教師の肩書がある、プロテスタントなんですね
過激なプロテスタント主義に影響されているのでしょう

同じキリスト教でも教え方が違うと
過激な熊本バンドになるのでしょう
熊本で廃校になったのは分かる気がします

洗脳された信仰を変えるのは大変でしょうね
最近朝鮮の教育を見ているので尚更です

襄、八重が慈しむような大きな愛で包むように接していけるのか楽しみです

No title

☆ハニー先輩さん

熊本バンド、人情に助けられて転校してきたのに
すごい偉そうでしたね(笑)
襄先生が泣かされてしまい気の毒でした。
八重がいないと学級崩壊してしまうところでした(笑)

西南戦争で会津武士がリベンジしますね。
どんな感じで佐川官兵衛や斎藤一が参戦してくるか期待です…!

No title

☆reo-310さん

熊本バンド、偉そうでしたね。
改革要求で要望していたことはそんなに間違っていないだけに
かえってたちが悪かったですね。自分たちこそが正義だと信じ込むキリスト教の悪い面が出ていたと思います。

ジェーンズが過激だったんでしょうかね。
たしかに軍人上がりだと異質な面もあったのかもしれません。
あまり染まってしまうと欧米かぶれを通り越して洗脳になりますね。
天皇制が事実上始まったばかりの当時の日本では
危険視されるのも多少はやむをえない気がしますね。

八重と襄が本当の愛を教えて熊本バンドを
目覚めさせてくれるか見ものです…!

No title

援けて貰ったくせに超上目線

さすが熊本・肥後もっこす,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
この人たちは誰が教師でも気に入りませんな ( ゚Д゚)y─┛~~

幕末が悲惨だったので、大変は大変だけど何か気楽な気分で視聴してました^^

村ナイスヽ(*´∀`)ノ★ぽち

No title

☆栞さん
村・ナイスぽちどうもありがとうございます(=^▽^=)

肥後もっこすと
「ならぬことはならぬ」の会津の八重で
これからも激戦を繰り広げてほしいです(笑)

たしかに会津戦争に比べれば
新島襄先生が泣かされただけで
被害は微少でのん気なものでしたね(^ ^)

No title

わたしは 朝のチューが うらやましかったり(笑)

八重さんも生活が一変したことの 戸惑いがあったでしょうね^^

No title

☆サッチさん
ナイスポチありがとうございます(^-^)

あの時代に朝のチュウは
超過激だったんじゃないでしょうかね(笑)

ただでさえ会津から京都、徳川から明治の変化で
途惑っているのに
欧米風生活にも慣れなくちゃならなかった八重さんは、
大変だったことでしょうね~

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清水しゅーまい

Author:清水しゅーまい
ご訪問ありがとうございます(^-^)
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①大河ドラマや歴史の話題、②猫観察、③映画鑑賞、
④裁判傍聴、⑤日本酒など……という感じになっております。
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そして、友情・人情・心意気です!

猫愛好家のフリーなライターです

清水しゅーまい
【著書】
『車猫が出てきた! ~ノラ猫の秘密~』2018年(東京図書出版)
『八っつぁんの落語一代記 噺家の来た道、日本の来た道』2015年(彩流社)
このブログを含めてcopyrightは清水しゅーまいです。
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