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「八重の桜」前に進め斗南藩/戦後会津の暗殺事件

大河ドラマ『八重の桜』
 第30回「再起への道」
【斗南藩成立】
 1869(明治2)年、八重(綾瀬はるか)は数え年25歳、兄・山本覚馬(かくま 西島秀俊)42歳。
八重は家族とともに米沢藩士・内藤新一郎(木下政治)の屋敷に身を寄せ、反物の売り歩きをして日々をしのいでいました。
 
5月18日、会津大殿 松平容保(かたもり 綾野剛)親子が死一等を減じられた代わりに、家老の萱野権兵衛(柳沢慎吾)が切腹。。。 ちょうど同日、箱館で榎本武揚(山口馬木也)が降伏し、戊辰戦争が終結しました。
 
10月、御家再興の許しはおりましたが、元の会津28万石ではなく、陸奥国下北3万石とのことです。本州最北の地。動揺する家臣団。ともあれ、山川大蔵(玉山鉄二)を筆頭大参事に、斗南(となみ)として再出発することになりました。
薩長新政府への無念を晴らしたいと強く願う会津の人々でしたが、八重は。。。
  八重「怨みを支えにしていては後ろを向くばかりで前には進めねぇのだし」
 
 


 
 
  歴史話☆彡
【戦後の会津で起きた暗殺事件と贋金事件】
 会津戦争では数千人の戦死者が出て、その遺体の埋葬には時間も費用もかかり、大問題となりました。仮埋葬または野ざらしの状態で越年し1869(明治2)年3月になって、ようやく埋葬作業のめどがつきました。旧会津藩士の伴百悦(ばん ひゃくえつ)という者が作業を監督したのですが、新政府直轄の若松民生局に所属する越前藩出身の監察 久保村文四郎(ぶんしろう)と対立。久保村は融通がきかず、そのうえ越前藩の一兵卒に過ぎないのに、敗軍とはいえ中級藩士である伴に対して態度がでかかったようです。
同年7月、府藩県制度によって新政府直轄の若松県が設置されることになり、若松民生局の者は御役御免になって帰郷するはずでした。ところが、伴たちは、束松(たばねまつ 会津坂下町)という場所で久保村を待ち伏せ、暗殺してしまったのでした。
 
また、会津藩では、軍資金を調達するため、戦争中に贋金(にせがね)の鋳造を行なっていました。戦後も密かに鋳造を続ける者がおり、これも大問題でした。
 
【没落の会津、長州の思惑 斗南を立藩】
 1869(明治2)10月、会津松平家は再興を認められたものの、新政府としては元の28万石をそのまま与えることはできません。また、旧会津藩士の立場からしても、敗戦で威光を失っていたし、荒れ果てた会津を統治することは難しくなっていました。そこで、本州の最北端・下北半島に、斗南(となみ)藩3万石(旧南部藩の一部に相当)を立藩することとなったのでした。会津を恨む長州の木戸孝允(たかよし)にとっては、旧会津藩士をわざわざ困難な土地へと移動させることが重要だったようです。
 
ただ、実は、旧会津藩士は、藩士の身分を捨てて帰農・帰商すれば、会津の地に戻ることもできたのです。が、その道を選んだ者は多くはありませんでした。同じ会津人だからといって民衆が藩士を暖かく迎えてくれるとは限らず、それどころか前述のように威光は消え失せ、帰農・帰商は困難が予想されました。大部分の者は、斗南藩士として生きる道を選んだのです。しかし、その道も非常に苦渋に満ちたものとなりました。
 
  ~主な参考文献~
あさくらゆう『川崎尚之助と八重 一途に生きた男の生涯』(知道出版)p.160~、175
星亮一『会津戦争全史』(講談社選書メチエ)p.227
吉海直人『新島八重 愛と闘いの生涯』(角川選書)p.20
吉海直人『カメラが撮らえた新島八重・山本覚馬・新島襄の幕末・明治』(中経出版)p.52
 
 


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コメント

No title

なるほど~^^

人柱になったといいましょうか 慎吾君の犠牲のもと

藩は助かったというわけなのですね

・・・にしても 寒い地で^^

これから どう話がすすむのか 楽しみです^^

No title

☆サッチさん
ナイスポチありがとうございます(^-^)

そうなんです、柳沢慎吾の家老が一人で責任を背負いました。
もっと厳罰でもおかしくなかったのですが、
ひとまず反発を抑え、
生存者を最果ての地に送り込む方策が採られました。

そろそろドラマの内容が明るい方向に
変わっていってくれるといいんですけどね~、なかなか…(^ ^ゞ

No title

こんばんは~~~
斗南での生活は過酷なものだったんですね。
二度と立ち上がれないように長州が仕組んだんですね。
それくらい会津は彼らにとって脅威であり、幕末の政変が効いていたんでしょうな。ポチ!!

No title

☆とん子さん
ポチありがとうございます(^ ^)

木戸孝允としては、本当は会津藩士をもっと遠く、
蝦夷地の原野に飛ばしたかったんですが、
薩摩藩と意見が食い違って結局、斗南になりました。
木戸としては会津藩に仲間の志士達をたくさん潰され、
自分自身も危うかったということもあって、苛酷な扱いとなりましたね。。
おとなげないことですね。。。

No title

今回は一休み的な内容でしたね
来週から京都編に移りますが

うら役の長谷川京子ファンなので見納めになるのかな?

身の回りをしていた、小田時栄、当時に子供がいたようですが
ドラマでは明かすのかな?
うらは離婚を望んで会津に留まるようですが

八重が兄上に「ならぬものはならぬのです」と言えるのか楽しみです。

No title

こんばんは。
会津藩も戦いの際には、まわりの民に迷惑をかけていたみたいですね。
八重さんもこれからどうなるのか、目が離せません。

No title

戦になると領民に迷惑・負担がかかるので、負けたとなると恨まれるでしょう・・・

河井継之助も地元領民(藩士もか?)から恨まれたようだし・・・

ナントモカントモ ショボーン..._φ(・ω・` )

やむなく始めるにしても戦は勝たないとなんです・・・村ナイスヽ(*´∀`)ノ★ぽち

No title

☆reo-310さん

いよいよ京都編ですね~
場所が変わって雰囲気ももう少し
明るくなってくれるといいんですがねぇ。。

長谷川京子のうらは会津女性らしい忍耐強い役を好演してきましたが
お別れでしょうかね、残念です。
谷村美月の小田時栄、ドラマでは今のところただのお手伝いさんのようにしか見えませんが、どうなるんでしょうね。
確かに、うらや八重たちにとっては、ならぬことですね(゚∀゚)

No title

☆ハニー先輩さん

同じ会津人でも農民は、戦闘準備のために家を焼かれたり、
田畑を荒らされたりで、必ずしも会津藩にいい思いはもってなかったようですね。

八重には早く明るく
ハイカラな明治女性になって欲しいものです…!

No title

☆栞さん
村・ナイスぽちどうもありがとうございます(=^▽^=)

会津の農民は特に以前から重税にあえいでいたようなので、
そのうえ負け戦でろくに守ってもらえず蹂躙されて、
けっこう冷やかな目で会津藩士を見てた人達もいたらしいですね。

河井継之助なんかはヘタに才気を発揮してしまったので(笑)、
反発を買ったのも無理はないのかもしれません。

敗軍の将に理解や同情が集まるのは、ある程度 時が経ってからなのでしょうね。
同時代人には、後世の人には分からない、強く複雑な思いがあるでしょうね。

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清水しゅーまい

Author:清水しゅーまい
ご訪問ありがとうございます(^-^)
 このブログは、
①大河ドラマや歴史の話題、②猫観察、③映画鑑賞、
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そして、友情・人情・心意気です!

猫愛好家のフリーなライターです

清水しゅーまい
【著書】
『車猫が出てきた! ~ノラ猫の秘密~』2018年(東京図書出版)
『八っつぁんの落語一代記 噺家の来た道、日本の来た道』2015年(彩流社)
このブログを含めてcopyrightは清水しゅーまいです。
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