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「八重の桜」焼玉押さえ/会津側の総攻撃(長命寺)

大河ドラマ『八重の桜』
 第28回「自慢の娘」
【両軍総攻撃】
 1868(慶応4)年、八重(綾瀬はるか)は数え年24歳、兄・山本覚馬(かくま 西島秀俊)41歳。8月23日より会津若松籠城戦。
新政府軍がアームストロング砲で激しい攻撃を加えてきました。八重と夫・川崎尚之助(長谷川博己)は四斤砲(しきんほう)の火薬量を増やして反撃。城内の至近距離に砲弾が落ちた時、八重は濡れ布団を砲弾にかぶせて爆発を防ぐという離れ技も見せました。「焼き玉押さえ」です。八重の父・山本権八(松重豊)は言いました。
  権八「八重が鉄砲を学んだことは間違いではなかったかもしんねぇ。
     闇の中でも小さな穴が一つあれば、光が一筋さし込んでくる」
 
8月29日、佐川官兵衛(中村獅童)が朝駆け総攻撃をすることとなりましたが、何と、寝坊(゚∀゚;
  官兵衛「しまった、寝過ごした!」
 この長命寺の戦で会津敗退! 改元されて明治元年9月14日、今度は新政府軍が総攻撃開始、砲弾の嵐…! 山川大蔵の妻・登勢(とせ 白羽ゆり)は焼き玉押さえに失敗、瀕死…!
 
 


 
 
  歴史話☆彡
【佐川官兵衛の決死総攻撃】
 8月26日に彼岸獅子で入城した山川大蔵は軍事総督に就任し、夜襲とゲリラ攻撃を仕掛け、新政府軍に迫りましたが、軍事力に差があり過ぎて効果は限定的でした。
 
 そこで8月29日、今度は佐川官兵衛が総督となって総攻撃を実施することとなりました。遺書を携えて討ち死にを覚悟した精鋭数百名を従えての決死の突撃です。本来は未明の出撃のはずでしたが、疲れていたせいか官兵衛が寝坊してしまい、午前7時頃の出発となりました。新政府軍はとっくに目覚め、待ち構えていました。銃弾が雨あられのごとく降り注ぎ、会津兵は次々と倒れていきます。が、官兵衛は敵の進軍をまるで恐れることもなく正面を向いて立ち、白刃を左右に振って陣頭指揮を執ったとのことです。
 
官兵衛たちは長州・大垣・備前の3藩が固める長命寺の陣に迫りました。大垣藩(戸田10万石)の軍事総裁 戸田三弥が率いる軍勢は総崩れとなり、新政府援軍の土佐藩も大苦戦し、森本平馬や岡村進ら7人が討ち死にするなど、混戦模様。ついに会津軍は長命寺を制圧し、敵の旗をぶん捕りました。しかし、まもなく新政府軍のさらなる援軍が押し寄せてきたため、撤退します。新政府軍は後方から攻撃を仕掛けてきましたが、その時、諏訪社の土手に伏兵していた会津兵が銃撃を開始し敵の将長を討ち取るなど多大な損害を与え、味方の生還を助けたのでした。それでも会津の犠牲者・負傷者は百数十人に及び、城内の病室は立錐の余地も無く、包帯が不足し、照姫が奥女中に命じて貴重な衣帯を出してきて解き、包帯にするほどでした。
 
新政府軍は天守閣を撃ち崩そうとして連日激しい砲撃を加え、籠城側に甚大な犠牲を強いましたが、崩落には至りませんでした。
 
【会津降伏へ…】
 こうして熾烈な籠城戦に耐え続けたものの、会津藩はとうとう降伏を決断。その経緯・日時には諸説ありますが、代表的な内容をまとめると、次のようになります。
 
 会津藩は9月8日に桃沢彦次郎と武田虎太郎という者を米沢藩本陣に行かせ、非公式に降伏を打診。すると、「官軍に赦免の様子は無い」という無情の返事です。ただ、米沢藩はそう言いつつも、正式な交渉を督促したようです。やがて9月15日、会津大殿の松平容保(かたもり)が重臣を集めて開城の意志を告げると、家老の山川大蔵らは熱涙を流しました。降伏が決議され、翌9月16日 夜、会津藩は今度は正式に、秋月悌次郎(あきづき ていじろう)手代木直右衛門(てしろぎ すぐえもん)・小森一貫斎を使者として再び米沢藩本陣を訪ね、降伏を嘆願。3名は縛られ、土佐藩本陣の参謀 板垣退助のもとへと護送されます。板垣は3人を解いて応接し、薩摩参謀 伊地知正治(いじち まさはる)らと協議したうえ、降伏を認めることとしました。9月22日、城に白旗が掲げられ、正式に降伏となったのでした。
 
 ちなみに、降伏使の一人、手代木直右衛門という人は、公用人という重職につき、実弟の佐々木只三郎らに命じて坂本龍馬・中岡慎太郎を暗殺させた人物です。
 
  ~主な参考文献~
星亮一『会津戦争全史』(講談社選書メチエ)p.173184204
『日本全史(ジャパン・クロニック)(講談社)
福田智弘『日本史が「時系列」だからわかりやすい! 読む年表 幕末暦』(じっぴコンパクト新書)
磯田道史『直伝 和の極意 古地図で巡る龍馬の旅』(NHK)p.138
 
 


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コメント

No title

そうなんだ^^歴史って あたりまえだけど つながってるんだ

わたしは個人的に きになるのは 八重さんと夫 尚之助さんのゆくえです(笑)

No title

先週のミテナカッタんだ^^;

寝坊ってマジでΣ(´Д`;)
起きれたら勝ってたのかな(-ω-;)ウーン

村ナイスヽ(*´∀`)ノ★ぽち

No title

☆サッチさん
ナイスポチありがとうございます(^-^)

あまり有名ではないけども
重要事件にちょくちょく顔を出す人物っていますね。

八重と尚之助の今後、どうなっちゃうんでしょうね。
ぼくも気になってます(^ ^)

No title

☆栞さん
村・ナイスぽちどうもありがとうございます(=^▽^=)

寝坊、痛過ぎますよね(゚∀゚;
それにしても、誰も起こさないというのも不自然だから、二日酔いで回復まで時間がかかったのかなぁ…なんて勝手に想像しています(笑)
ちゃんと起きていれば、会津軍の犠牲者は確実に減っていたと思いますし、新政府軍の名のある武将を討ち取っていたかもしれません。
でも結局は新政府軍の大増援におされて城に退散していたと思います。
むごい戦でした(*_*)

No title

そうですよね!
私も総督なる人を誰も起こさなかったなんて。
しかもこんな大事な日に…って不自然だなった思いました。

寝坊しても馬から落ちても将軍家を守った人もいるし(笑)
歴史ってのはやっぱりこうなるって結果があるのかもしれないなあと思ってしまいますね~。

八重ちゃんの今後にオールポチです!

No title

こんばんは。
まさかの寝坊でしたね、いくならんでも誰か起こして下さいよ(^^;

それにしても大砲の弾を、あんな方法で爆発させないなんて驚きました。
本当に命がけの行為ですが、どれだけ効果があったのか・・・

No title

☆Parlさん
オールポチどうもありがとうございます(=^▽^=)

総督が寝坊をして、誰も起こさなかったなんて
ほんとにヘンな話ですよね。
きっと前夜の出陣祝いで呑み過ぎてグロッキーになってたんじゃないかな~。
なんにしても、しまりのない話ですよね(゚∀゚;

早起きがいかに大事かを教えるにはいい話かもしれませんね(笑)

No title

☆ハニー先輩さん

あんな真剣な場面で寝坊するなんて、まさかの展開でしたね(笑)
よっぽど寝起きが悪い人で、起こせなかったのかもしれませんね(^ ^;)

大砲の弾丸の爆発を防ぐ「焼き玉押さえ」という技は、
現代人からすると冗談のように思えてしまいますが、
当時のモルチールという、丸いタイプの弾丸の場合は爆発まで時間がかかり、それなりに消火効果があったようです。
山川大蔵の奥さんは残念ながら失敗してしまいましたが、
焼き玉押さえのお蔭で、城は大火災を免れたという説もあります。

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①大河ドラマや歴史の話題、②猫観察、③映画鑑賞、
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そして、友情・人情・心意気です!

猫愛好家のフリーなライターです

清水しゅーまい
【著書】
『車猫が出てきた! ~ノラ猫の秘密~』2018年(東京図書出版)
『八っつぁんの落語一代記 噺家の来た道、日本の来た道』2015年(彩流社)
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