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「八重の桜」戦場で舞う獅子/頼母追放で新体制確立

大河ドラマ『八重の桜』
 第27回「包囲網を突破せよ」
【戦場で舞う彼岸獅子】
 1868(慶応4)年、八重(綾瀬はるか)は数え年24歳、兄・山本覚馬(かくま 西島秀俊)41歳。8月23日より会津若松籠城戦
八重は城を囲んで夜営する新政府軍に夜襲をかけました。帰還すると今度は負傷者の手当て。息つく暇もありません。
一方、越後街道の会津陣所では、中野竹子(黒木メイサ)たち女性陣が薙刀を持ち、「軍勢に加えてくださいませ」と頼み込み、拒否されると自害の覚悟を見せてとうとう参戦許可を得ました。まもなく柳橋(涙橋)の戦いに出陣するも、竹子は討ち死に。。。 捕われの身となった神保雪子(芦名星)は自刃。。。
 
情勢の不利を見た家老 西郷頼母(たのも 西田敏行)は、「殿。この上は、開城をご決断くださりますよう…」 しかし、他の者は大反対。主君 松平容保(かたもり 綾野剛)も、「ことここに至っては、開城恭順の道など無い。城と命運をともにするのみ…」
 
8月26日、戦場に出ていた山川大蔵(おおくら 玉山鉄二)が城近くまで帰還。どう入城するかが問題です。ここで一計を案じ、会津伝統の彼岸獅子とともに進軍し、あっけにとられる新政府軍をしり目に、入城に成功したのでした…!
 
 


 
 
【若手抜擢と頼母追放】
 会津籠城戦は会津藩にとって、もともと勝ち目の薄い戦いでしたが、それにしても残念だったのが、指揮系統の曖昧さです。会津藩は、誰が実権を握っているのか、分かりにくい状況にありました。その大きな要因が、家老・西郷頼母(たのも)です。西郷家は高い家格を誇り、主君・松平容保(かたもり)に対しても臆することなくしばしば直言してきました。そのせいで、頼母は蟄居(ちっきょ)と復権を繰り返し、藩政を混乱させてしまいました。
 
頼母は信念を持っていたのかもしれませんが、残念ながらこの人は批判はすれども対案を持っていないというタイプだったようで、これではただのガミガミオヤジです。政務に関しては早い段階で梶原平馬が仕切るようになっていたのですが、仙台藩・米沢藩に恭順嘆願書を出した時点での筆頭家老は頼母でした。そして、戦闘の経験も無いのになぜか白河総督に就任し、大敗。会津若松城に逃げ帰りました。
 
8月22日、母成(ぼなり)峠が突破されたという一報を受けた際には、頼母が「責任は主君容保公 以下、重臣全員にある。即刻切腹すべし」と叫んで暴れ、この醜態に藩内若手が大反発。“頼母を斬る”という不穏な空気が流れたそうです。
 
籠城戦が始まって、8月25日、白河新総督の内藤介右衛門(梶原平馬の実兄)1000人の軍勢を引き連れて怒濤のごとく入城。翌日、山川大蔵彼岸獅子を舞わしながら敵中突破、入城に成功。特に山川大蔵の戦意は高く、「今やこの名城により、殿の面前で薩長の大敵と決戦することができ、光栄これにすぐるものはない」と、勇ましく言い放ちました。容保も鼓舞されてようやく指揮系統の見直しを行ないます。若手実力者の抜擢です。
 
●家老 梶原平馬………本丸で政務担当
●家老 山川大蔵………本丸で軍事総督
●家老 内藤介右衛門…三ノ丸を守備
●家老 原田対馬………西出丸を守備
●若年寄 倉沢右兵衛…二ノ丸を守備
●家老 佐川官兵衛……城外監督
 
 以上の体制が整うと同時に、頼母は城外追放となりました。「城外で戦闘中の家老 萱野(かやの)権兵衛たちへの伝令」という建て前のもと、処分されたのでした。容保がもっと速くこのような決断していれば、そうとうな接戦に持ち込めた可能性があります。
 
  ~主な参考文献~
星亮一『会津戦争全史』(講談社選書メチエ)p.166
 
 


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コメント

No title

こんばんは。
すっかり頼母さんの意見は聞いてもらえなくなってますね。
現代人からすると降伏するのも手だと思いますが、
やはり徹底抗戦&武士の本懐的な精神の方が強いのかな・・・

No title

☆ハニー先輩さん

これはまさに会津の悲劇で、列藩大同盟を組む前に、会津が恭順を願い出た時点で新政府側は厳罰の姿勢を見せていました。
戦闘を開始してしまったので、さらに過酷な処分を受ける可能性が高く、降伏したくてもできなかったというのが実情だと思います。
なので、ドラマで梶原平馬が言っていたように、勝てないまでも籠城戦に持ちこたえて、和議に持ち込むのが理想でした。
頼母は降伏を言い出すタイミングが悪かったし、本当に降伏を考えているのならば、新政府首脳に掛け合いに行くべきでしたが、結局そのような行動はせずに榎本艦隊に合流してしまいました。
気の毒な人でもありますが、もったいぶった人だなぁというのが個人的な感想です(^ ^;)

No title

こんばんは~~~~
西郷頼母って会津ではあまり人気がないようですね。
仰るとおり、戦に関しては素人で。白河の大敗で新政府軍が会津領土に侵入。負けの原因を作った人物なのでよけい憎まれる存在だったのでしょう。
タイミングというものもあるかもしれませんが、あの状況で降伏しましょう~~~って言うのは勇気がいると思います。対案があればよかったんでしょうけど・・・
ポチ

No title

☆とん子さん
ポチありがとうございます(^ ^)

西郷頼母、地元会津で人気無いのですか!
それは気の毒ですね(゚∀゚;
やっぱり、ふだん大口たたいてたわりに戦で負けるわ、臨戦態勢の時に士気を落とすようなことを言うわ…、ダメ上司って感じがします。

本気で降伏を考えているのならば、新政府首脳との交渉が必要になりますが、頼母はその根回しをしたわけでもなく、願望として降伏を言い出しているようにしか思えませんでした(ドラマでは西田敏行の人柄がいいので、共感できますが)。
生き残ってしまうことが、また何とも痛ましいです。つらい余生だったでしょうね。。。

No title

これは想像なんですが、藩主・容保の身柄の安全が保証されていたら、降伏案も通ったと思うんです。

会津はスケープゴートにされてたから、降伏したら家老が切腹どころか下手すれば斬首(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル

藩主に対しても、武士にとって耐えがたい処遇が待ってる事が予測されたのが、徹底抗戦に傾いた心理的要因のように思います。

また途中の段階まで新政府側も、そういう厳しい態度であったかと・・
諸外国に対し新政府の明らかな勝利を誇示するために、容保の首が欲しかったと思います。
慶喜の方は諸外国から「殺すなんて酷い事は(´・д・`)ダメ」って言われて諦めてたんで^^

山川さん入城は、めっちゃ恰好良かったです!!!流石!
村ナイスヽ(*´∀`)ノ★ぽち

No title

☆栞さん
村・ナイスぽちどうもありがとうございます(=^▽^=)

そうですね、長州征伐の前例からしても家老・参謀達の切腹斬首はかたそうだし
容保の身もどうなるか分からない状態でしたよね。
本当に、会津藩はスケープ ゴートでしたね。慶喜の重荷をそっくりぜんぶ背負わされて、なんとも
気の毒でなりません。。

山川大蔵の入城…、てっきり山川大蔵本人が獅子舞いしながら城に入ってゆくのかと思っていました(笑)

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清水しゅーまい
【著書】
『車猫が出てきた! ~ノラ猫の秘密~』2018年(東京図書出版)
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