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「八重の桜」残念な慶喜逃走 海戦では幕軍勝利

大河ドラマ『八重の桜』
 第21回「敗戦の責任」
【錦旗ひるがえり慶喜逃げる】
 1868(慶応4)年、八重(綾瀬はるか)は数え年24歳、兄・山本覚馬(かくま 西島秀俊)41歳。
鳥羽伏見の戦い、3日目(1月5日)。薩長側が前線に「錦の御旗(みはた)を掲げました。帝の軍勢の旗印です。これを見て、もともと押され気味だった旧幕府軍は崩れ、拠点の淀城へと退却。ところが、淀藩(譜代の稲葉102000)が寝返り、入城を拒まれてしまいました。さらに、1月6日には、津藩(藤堂32万石)も寝返って旧幕府軍に砲撃してきました。ここで八重の弟・三郎(工藤阿須加)は重傷を負い、まもなく死亡。。。
 
神保修理(斎藤工)が江戸帰還を進言すると、その説にすがるように総大将・徳川慶喜(小泉孝太郎)会津藩主・松平容保(かたもり 綾野剛)を連れて大坂城を脱け出し、軍艦・開陽丸に乗って逃げてしまいました。旧幕軍兵士は見捨てられ、それどころか開陽丸艦長の榎本武揚(山口馬木也)までもが置いてきぼりをくってしまい、これ以上無いというぐらい不様なありさまです。茫然とする会津藩士達。官軍となった薩長側は、慶喜や容保を朝敵と決め付けました。すると、慶喜は徳川に味方してくれた会津など諸藩の登城を禁止し、江戸立ち退きを命じたのでした…! とんでもない総大将です。会津藩士達の怒りは沸騰、その矛先は、神保修理へ。。。
 
 


 
 
  歴史話☆彡
【海戦では幕軍勝利、残念な慶喜逃走】
 鳥羽伏見の戦い2日目、1868(慶応4)年1月4日、海上では、日本最初の近代的海戦とも言われる阿波(あわ)沖海戦が繰り広げられていました。榎本武揚(えのもと たけあき)率いる旧幕府海軍のオランダ製最新鋭軍艦 開陽丸が大坂湾で陸戦の状況を注視していたのですが、その時、薩摩藩の軍艦 春日(かすが)丸と輸送船 翔鳳(しょうほう)丸が出港するのを発見しました。そこで開陽丸が砲撃を開始し、戦闘になったのです。その結果、春日丸には逃走を許したものの、翔鳳丸を自沈に追い込みました。
 
このように、旧幕府軍は開陽丸によって大坂湾の制海権を握っており、優位に立っていました。また、陸上の鳥羽伏見の戦いでは負けましたが、まだ被害は大きくなく、挽回の余地がありました。にも関わらず、徳川慶喜はその肝心かなめの開陽丸を乗っ取るように江戸へ逃亡してしまったのです。艦長の榎本武揚がいれば話が変わった可能性もありますが、残念ながら、上陸中で留守でした。艦長不在だからと乗組員が抗議するのもきかず、慶喜は出港を命じたのです。旧幕臣や会津藩士達の士気は高く、「幕末 大坂の陣」を展開していたら意外と接戦になっていたかもしれません。が、慶喜の逃げ足の速さが事態を決定付けてしまったのでした。
 
  ~主な参考文献~
『日本全史(ジャパン・クロニック)(講談社)
『読める年表 幕末維新明治』(自由国民社)
福田智弘『日本史が「時系列」だからわかりやすい! 読む年表 幕末暦』(じっぴコンパクト新書)
 
 


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コメント

No title

薬で眠ってしまった・・・il||li _| ̄|○ il||l

村ナイスヽ(*´∀`)ノ★ぽち

No title

☆栞さん
村・ナイスぽちありがとうございます(^ ^)

薬で眠るとストーンと眠ってしまいませんか(゚∀゚)
ご自愛ください~

No title

神保修理の切腹シーンが 。。。

斎藤工くんだったから なおさら 死んじゃダメって

叫んでたのは 私だけでしょうか^^

No title

容「大阪に残ります!!」
慶「いいから、来い」

この時って実際はどんなものだったんでしょうね。
ぞくぞくする場面です。
慶喜を将軍に推してた人達って、
こういう性格をわかってたのかな~
でも、政治的能力のようなものってあんまり関係ないのかも。

No title

う~んそういういきさつでしたか~
事実はどうだったの家は今となってはわかりませんが・・このお話では会津が主人公ですものね。そういうことなのでしょうか~
さてさて教科書で。無欠江戸城明け渡しとか簡単に描いてあるのですが歴史の別れどころというのはそう簡単なものではないんですね。
ありがとうございます。

No title

こんばんは~~
江戸でも、まだ徹底抗戦があがっていたみたいですね。
おそらく、その背景には開陽丸の勝利っていう知らせが入っていたのかもしれません。
とにかく、この鳥羽伏見の慶喜はヘタレですな(笑)ポチ

No title

大将の二人が戦場からトンズラするという日本史上とというか世界の歴史に照らしても最もキテレツなシーンですね
これがあったからこそ明治維新という手品のような回天が可能だったという説もあります
とりあえず小泉慶喜様、ご苦労様でございました
好演というより怪演でございました

No title

こんばんは。
確かに諸藩の同様があったとはいえ、そこは大阪城。
あそこで踏ん張っていたら・・・分からなかったですよね。

No title

☆サッチさん

恐らく神保修理は非難ごうごうの中で
切腹していったと思うので
気の毒でなりません。
痛ましいことですね。。

No title

☆わさびさん

慶喜はかなりの役者だったのでしょうね。本職の役者であれば名優になってたでしょうが、将軍がそんなのじゃ大迷惑で、容保もだまされ本当に地団駄踏んだんじゃないかと思います。
慶喜を将軍に推した人達でさえ、
ついていけなかったというか、
ついていってしまった人達は
詐欺に遭ったような気持ちになったんじゃないでしょうか(^ ^;)

No title

☆みっちゃんさん

神保修理が実際どの程度 徳川慶喜の江戸逃亡に関わっていたのか、ぼくにもよく分からないのですが、
鳥羽伏見の敗戦責任をとって切腹に追い込まれたのは事実です。
慶喜はとんだ食わせ者でしたが、勝海舟たちの尽力で、
江戸無血開城が実現しました。
読んで戴きましてありがとうございます(^-^)

No title

☆とん子さん
ポチありがとうございます(^ ^)

開陽丸が大坂湾を押さえてれば、江戸から海路援軍を送ることもできたので、抗戦も充分ありえました。
慶喜は、自分の知略に溺れてたんじゃないかと思います。政治的駆け引きで勝てると思ってたのが、うまくいかなくなってとうとう逃げ出してしまったのかも…(笑)

No title

☆高木一優さん

たしかに、大将が味方もだまして敵前逃亡するというのは、珍しいかもしれませんね(笑)
しかも、慶喜は明治を生き切ったというのが、やっぱりただ者じゃないと思います(笑)
小泉慶喜、実際、あんな感じだったから容保もまんまとだまされてしまったんでしょうね。

No title

☆ハニー先輩さん

大坂城で籠城していれば、薩長が戦争長期化・外国の介入を恐れて妥協し、徳川を含んだ新政府になってたかも…。それか、大坂城が会津若松城のように落ちるか…。
いずれにしても、江戸無血開城のような、なんとなく気が脱けるような終わりよりも潔かったような気がします。

No title

徳川宗家の威光未だ衰えず、いくらでも挽回(そもそも劣勢だったのかも微妙ですが)のチャンスがあった中での慶喜の極秘逃亡・・・幕末史最大の謎と言っても良いでしょうね、これは。結局何がしたかったのかよく解らん人です ^^;
そして江戸無血開城で行き場を失った薩長の怒りが会津に向いたとも思えてきます。いやはやとんだとばっちりですね。ALLポチ☆

No title

☆越前屋平太さん
ALLポチどうもありがとうございます☆

慶喜の逃げ足の速さは一流(?)ですね。
家康の伊賀越えに匹敵するかもしれません(笑)
慶喜は政治を知略争いのようにしか考えてなかったんじゃないかという気がします、明確なビジョンや気迫が感じられませんね。
学校とかでは江戸無血開城が称讃されますが
慶喜に免罪符のように利用されているような気がしてなりません
会津の人々が気の毒です。。。

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猫愛好家のフリーなライターです

清水しゅーまい
【著書】
『車猫が出てきた! ~ノラ猫の秘密~』2018年(東京図書出版)
『八っつぁんの落語一代記 噺家の来た道、日本の来た道』2015年(彩流社)
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