大河ドラマ『いだてん 東京オリムピック噺』
第42回「東京流れ者」脚本:宮藤官九郎【オリンピック×高度成長ダイナミズム】 昭和36年(1961年)。
田畑政治(たばた・まさじ/阿部サダヲ)は、東京五輪の
選手村建設地が
埼玉の朝霞(あさか)に決まって
すでに道路工事も始まっていたのを、引っ繰り返しました! 五輪会場の直近1kmにある
代々木ワシントン・ハイツを米軍から取り返し、選手村にしようと言うのです。ところが、米国は居住将兵の家族800世帯分の
立ち退き料60億円を要求してきたのです…!
ここで、時の総理大臣、
池田勇人(はやと/立川談春)が登場。所得倍増計画をぶち上げ、高度成長をリードした人です。しかし、
とても60億円なんか出せんと言う池田首相。さすがの田畑も言葉に詰まってしまいました。が、スタジアムやプールなどあとに遺るものに限って都と国が予算折半するという点に目をつけました。
ワシントン・ハイツを買い、放送局つまりNHKを建てる。
世はカラーテレビの時代、当時1台60万円もするものでしたが、これを契機に一気に普及させる、1万台売れると見積もって60億円…! 経済効果を考えれば、イケる!
同じ日本とは思えない高度成長ダイナミズムのおもしろさ、まさに隔世の感がありますね。
ドラマがもっと楽しくなる!史実の妙味☆彡
大河ファンのために(=^▽^=)/【五輪ポスターのインパクト!亀倉雄策】 前野健太が演じている
グラフィック・デザイナー亀倉雄策(ゆうさく)。
彼が発表した
東京オリンピックの公式ポスター第1号は、赤い大きな日の丸に、金色の五輪マークと、同じく金字の「TOKYO 1964」を配置しただけのシンプルなデザインでした。しかしこのインパクトと分かりやすさが、支持を広げたのです。
公式ポスター第2号の制作に当たり、亀倉は過去の五輪ポスター全てを集めて分析。スポーツそのものをダイナミックに表現したものが無い、と感じました。そして「次は、写真だ」と考えたのです。完成したポスターが、こちら!

信頼する広告写真家・早崎治をメイン・カメラマンとし、計4名のカメラマンが、
夜の国立競技場で一斉にシャッターを切りました。
20台のストロボを同時発光させています。当時の大判カメラは高速連写できず、1回のスタート・ダッシュを撮るのに1回のシャッターしか切れません。撮影は深夜に及び、モデル6人は30回以上もスタート・ダッシュしたとのことです。こうして、この作品は
五輪史上初の、写真を使用した公式ポスターになりました。と同時に、いま一つ盛り上がりに欠けていた世間の関心を、東京オリンピックに大きく引き寄せることになったのです。
若き日の亀倉は、共同広告事務所という制作会社で
サン=テグジュペリの小説『夜間飛行』の装丁を手がけたりし、その後は日本工房という会社で
グラフ誌「NIPPON」の編集・制作(デザインや装丁)を行ないました。「NIPPON」は
内閣情報局による対外プロパガンダ誌だったため、敗戦直後に
公職追放。そこから、「世の中を美しく、楽しくする美術運動」を打ち出して職能団体の日本宣伝美術会(日宣美)を創立します(36歳)。
広告制作会社の日本デザインセンターも立ち上げ、その専務取締役に就任したばかりの頃(44歳)に、東京五輪シンボル・マークの指名コンペ参加が打診されたのでした。
亀倉雄策たちがつくった東京オリンピックの
「ピクトグラム」。
言葉ではなく目で見て理解できる案内表示です。開発のため、日本で活躍していたデザイナーが集結したのでした。横尾忠則、田中一光(いっこう)、原田維夫(つなお)なども参加。今や至る所で目にし、日常生活に欠かせないものに。
~主な参考文献~
●ホームページ:笹川スポーツ財団
大野益弘「亀倉雄策 オリンピックのポスターをアートにした」
http://www.ssf.or.jp/history/Olympic_legacy/tabid/1773/Default.aspx『車猫が出てきた! ~ノラ猫の秘密~』
『八っつぁんの落語一代記 噺家の来た道、日本の来た道』
(清水しゅーまいアマゾン著者ページ)
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