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「いだてん」515/天皇が政党政治を終わらせた

大河ドラマ『いだてん 東京オリムピック噺』
 第28回「走れ大地を」脚本:宮藤官九郎

【タワゴトを実現させる…!】
 時は昭和6年(1931年)8月、田畑政治(たばた・まさじ/阿部サダヲ)率いる日本水泳陣は日米対抗水上競技大会にて大活躍します。神宮プールの客席が1万3000人の大観衆でいっぱいになり、大いに盛り上がりました。総合でアメリカに勝ちましたが、遠征する側は2割程度不利だからと、田畑は意外と冷静です。

その頃、嘉納治五郎(役所広司)東京市長・永田秀次郎(ひでじろう/イッセー尾形)は、ちょうど紀元2600年に当たる昭和15年(1940年)に、東京でオリンピックを開催しようと計画を進めていました。これには、田畑も驚いた様子。
一方で、体協会長・岸清一(岩松了)は「金、通訳、宿泊施設、交通機関…、役人の手のひら返しのタワゴトに踊らされて!」と不足を言い立てますが、嘉納治五郎は「タワゴトから始まんだよ、こういったものは!」

第12回オリムピツク大会 東京招致に関する報告書。
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同じく昭和6年(1931年)9月18日、満州事変が勃発。事態を収拾できなかった若槻礼次郎内閣は総辞職し、犬養毅(塩見三省)が総理大臣に指名されました。ちょうど高橋是清(萩原健一)の屋敷を訪れていた田畑は、これをスクープ! 続く田畑の仕事は、昭和7年(1932年)、第10回オリンピック、アメリカのロサンゼルス大会のための応援歌一般募集でした。4万8000通の応募があって、その披露式典の開催日が、なんと5月15日!
「話せば、分かる」の五・一五事件の当日だったのです…!
大河28IMG_0857


 ドラマがもっと楽しくなる!史実の妙味☆彡
大河ファンのために(=^▽^=)/

【国を思う心~歪んだ集団テロに!五・一五事件】
 昭和7年(1932年)5月15日に勃発した集団テロ、五・一五事件の背景には、腐敗した政党政治・財閥・官僚などの特権階級への憤りがありました。太平洋戦争後は軍人を悪者に見立てる傾向がありますが、実のところ、当時の軍には徴兵令による「国民皆兵」にいい側面もあって、一つの業界にとどまらない幅広い視野をもった人材がいました。そういった人材が、このままの世の中じゃいけないと、国家改造・革新運動を進めていたのです。

そもそも、そのような動きは、第1次世界大戦の講和条約が結ばれた大正8年(1919年)の頃からありました。さらに、昭和4年(1929年)の世界大恐慌。そして、極度に進んだ格差社会、軍縮による軍人の社会的地位の低下、中国や満州でないがしろにされる日本の善意・権益。などなどの諸問題があって、ついに一部の暴徒が決起してしまったのでした。総理大臣・犬養毅(いぬかい・つよし)は、暴徒侵入の一報を受けましたが、まったく動じません。例の「話せば分かる」の一言を発し、暴徒の将校を穏やかに制して別室にて話し合おうとしました。が、その別室で至近距離からの銃撃を受けます。なおも6時間生き続け、タバコを吸おうとしたり話を続けたりしたそうです。


【天皇の意向と国民の絶望が政党政治を終わらせた…!】
 犬養毅総理大臣、殺害。後継の総理・内閣を、どうするか? 五・一五事件の主謀者の中には、元帥・東郷平八郎を参内させて国家改造内閣を成立させようと願う者もいました。が、何も具体的な根拠が無い単なる願望でした。

で、通常ならば、最後の元老・西園寺公望(さいおんじ・きんもち)が与党の後継党首を新しい総理大臣に推薦し、決定に至ります。与党・政友会の最大派閥の頭である鈴木喜三郎(きさぶろう)が、新総理大臣となるはずでした。しかし、西園寺のもとに、侍従長・鈴木貫太郎(のちに敗戦時の総理大臣)がやって来て、昭和天皇の「希望」を伝えたのです。それは、おおむね以下のような内容でした。

●首相は人格の立派なる者にすること。現在の政治を改善し、陸海軍の軍紀を引き締めること。協力内閣(挙国一致内閣)か単独内閣かは問わないが、ファッショに近い者は絶対に不可。(大日本帝国)憲法を擁護すること。
●国際平和を基礎とし、外交の円滑に努めること。
●事務官と政務官の区別を明らかにし、紀律を引き締めること。

 内容的にはもっともなことが並んでいますが、このような「希望」が出されるのは、異例でした。なぜ昭和天皇が「希望」を出したか? そこには、権力闘争を繰り返すばかりで内外の問題を解決できない政党政治への、昭和天皇の幻滅がありました。くしくも、一般庶民がそうだったように、昭和天皇は「今の政府には統一がない」「政党政治は駄目だね」などと不満を漏らしていたのです。鈴木喜三郎は、これに応える人格をもっているとは思われていませんでした。政治や軍部の引き締めを期待できないだけじゃなく、以前、事務官を大量更迭し、自派に有利な人事を行なった経緯もあったからです。

こうして西園寺元老は天皇の意志を尊重し、内外の重大事態を踏まえて各方面の意見も聴いた上で、挙国一致で元海軍大臣の斎藤実(まこと)内閣を成立させたのでした。庶民も天皇も、内外の安定を望んでいましたが、そうならず、政党政治の終わりという残念な結果ばかりが強調される事態となってしまいました。

  ~主な参考文献~
福田和也『教養としての歴史 日本の近代(下)』(新潮新書)p.104~122
編:筒井清忠『昭和史講義2』(ちくま新書)p.79~114
編:筒井清忠『昭和史講義3』(ちくま新書)p.124
上念司&倉山満『ネオ東京裁判』(PHP研究所)p.213~



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コメント

うわぁ・・・

全然知らない話なんですけど^^;
5.15事件?
え~犬養さんって殺されたの?
社会科の勉強何もしてなかったのかしら
初耳だわ(--;)

歴史の評価は時を経て決まります

戦後の線量群の夜教育は戦前の運賃を呈するところから始まっています
歴史を鑑みますと明治維新で徳川幕府を徹底的に批判しました。今頃江戸時代は世界に見える平和な良い時代であったとみなされてますよね
我が父も戦前は政府の超エリート外外交官でした。本気で大東亜文化圏を信じていたと語ったことがあります列強の侵略による植民地化からアジアを解放するのだと、外モンゴルマンも政府で働いていましたその時内地から5.158や2.26で騒動起こした甘がすしようこうなど天皇を報じて騒動起こしたので国内でバッスルわけにいかず追放されていたとかです。彼らはその意識で満蒙政府の樹立を志していたんだそうです
あくまでも父の自分ですそういうことを考えながらこの記事を拝見させていただきいろんな感慨深いものがありました

☆ジュディままさん

五・一五(ごーいちご)事件、
忘れちゃいましたか~。
中学生の歴史の教科書に
載っていると思いますよ(^∇^)
面白いところなんだけどな~(^ ^ゞ

☆みーちゃんさん

ありがとうございます。
お父様がエリート外交官でしたか!
本気で大東亜共栄圏を信じていたかたがたも
おられたのでしょうね。
国際連盟脱退をしなければもっと
いい展開があったかもしれないという気がしますが
二・二六事件の頃には
だいぶ事態が悪化してしまいました。
数々のターニング・ポイントがあったと思えるだけに
残念なことですね。

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そして、友情・人情・心意気です!

猫愛好家のフリーなライターです

清水しゅーまい
【著書】
『車猫が出てきた! ~ノラ猫の秘密~』2018年(東京図書出版)
『八っつぁんの落語一代記 噺家の来た道、日本の来た道』2015年(彩流社)
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