大河ドラマ『西郷どん』
第41回「新しき国へ」原作:林真理子/脚本:中園ミホ
【西郷どん、留守政府と天子様を守る】
時は明治4年(1871年)、西郷隆盛(鈴木亮平)は数え年45歳。
怒濤(どとう)のごとく廃藩置県を断行した明治政府は、今度は欧米への使節団派遣を決定しました。新国家日本の誕生を万国に知らしめると同時に、不平等条約を改正するのが目的です。西郷は、「留守政府」を任されることに。。。
岩倉具視(笑福亭鶴瓶)は「麿(まろ)が帰って来るまで、新しいことは何もしたらあかん」
「欧米の繁栄と強さを見ることは、日本国を率いる者にとって急務であると、強く思います」と語る長州出身の伊藤博文(浜野謙太)。一方で、土佐出身の後藤象二郎(瀬川亮)と板垣退助(渋川清彦)、佐賀出身の江藤新平(迫田孝也)と大隈重信(尾上寛之)は留守番です。
大隈は「許せんばい! 薩長のやつらめが…」と息巻き、後藤は「いや、やつらが日本を留守にした時こそ、わしらの好機!」
使節団出発の前に、西郷はいまだ混乱する日本各地を天子様(野村万之丞)に行幸(ぎょうこう)して戴き、直にご見聞戴こう…と案を出しました。
「天子様が…初めて民の前にお姿をお見せすっとじゃ。…苦しむ民草の心の支えにもなり、日本の君主たる天子様のおためにもなるはずじゃ」
それまでのように宮廷に引き籠もっているのではなく、現代にも至る、日本を一つにまとめる天子様のお役目がここに始まったのです…!
「西郷。朕(ちん)に力を貸してくれ」
そして、11月、岩倉使節団の欧米渡航の勅命を、ご自分で朗読。
今回の天子様、明らかに昭和天皇の話し方をモデルにしてましたね(笑)
さて、村田新八(堀井新太)は天子様のそば近くに仕える侍従(じじゅう)に、川路利良(泉澤祐希)は欧州各国を巡って「ポリス」について学ぶことに、中村半次郎あらため桐野利秋(大野拓朗)は陸軍少将に。西郷は、
「みんながそれぞれの場所で、新しか日本の国作りを支えっとじゃ!」
西郷の長男、まだ少年の西郷菊次郎(城桧吏)は、岩倉使節団とともに渡航、留学する決心を!
ドラマがもっと楽しくなる!史実の妙味☆彡
大河ファンのために(=^▽^=)/
明治政府ができてまもなく様々な大改革が行なわれました。
西郷隆盛は宮中大改革も指揮することに。それまで天子様は、大勢の女官達に囲まれた日々を送っていました。そこに大ナタを振るった西郷! 親友の吉井友実(よしい・ともざね)や腹心の村田新八、旧幕臣からは山岡鉄舟といったふうに、武士の中の武士、ラスト・サムライとも言うべき人々で天子様を守ると同時に、鍛えることにしたのです。
それまでは「危険」という理由から当然避けられてきたことなのですが、西郷は実際に天子様に相撲や乗馬を奨めました。しかもけっこうスパルタ教育だったらしい。天子様が落馬したことがあって「痛い!」と声を出したところ、西郷は「男子が“痛い”などと言ってはいけません」と、戒めたそうです。天子様、さぞつらかったろう…と思いきや、かなり充実した時期で、西郷に強い親しみを覚えていたようです。
西南戦争勃発時、天子様は京都にいたのですが、西郷を案じるあまり京都御所の奥に引き籠もってしまった…と伝わっています。
【西郷どんと大隈重信の不仲】
のちに早稲田大学を創立することでも有名な大隈重信がこのところちょこっと登場しています。
西郷隆盛とのやりとりはドラマでほとんど出てきていませんが、実は西郷どん、大隈重信のこと大嫌いでした。なにしろ、西郷どんの嫌っているぜいたく三昧の暮らしを送っていたのが、この大隈だったからです。大隈の暮らしは、のちに東京朝日新聞に「大名生活」と書かれたほどで、清貧の西郷どんにとっては許しがたく、嫌悪感を隠さなかったとのこと。留守政府の頃は、西郷どん、大隈を詐欺師(さぎし)呼ばわりしていたほどです。口をきくのも嫌だったそうで、そうとう価値観が違っていたのでしょうね。
大隈のほうでも、西郷を国家構想の無い古めかしい武士というような感じで軽視していたらしいです。大物同士でも気性(きしょう)があまりに合わないと大変ですね。
~主な参考文献~
家近良樹『西郷隆盛』(ミネルヴァ書房)p.370~、396、422
北康利『命もいらず名もいらず 西郷隆盛』(WAC文庫)p.287~
半藤一利『幕末史』(新潮文庫)p.426~
福田和也『教養としての歴史 日本の近代(上)』新潮新書p.76
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清水しゅーまい