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「直虎」本多正信登場/四天王に匹敵する大久保!

大河ドラマ『おんな城主 直虎』
 第41回「この玄関の片隅で」作:森下佳子
【本多正信登場~長篠合戦近し!】
 時は天正3(1575)年、井伊直虎(おとわ/柴咲コウ)は、数え年41歳ぐらい。
 
草履番の仕事を指南することになった井伊万千代(後の直政/菅田将暉)15歳。現れた後継者は、ノブ(六角精児)という年配の男でした。鈍そうなやつだとあなどっていると、ノブは徳川家中の顔ぶれをすぐさま憶えてしまっただけでなく、下城の順番に規則性があることまで記憶。その正体は、かつて徳川家康(阿部サダヲ)と敵対したこともある本多正信なのでした。
 
その頃、武田勝頼(奥野瑛太)が勢いを増し、徳川領を侵食していました。徳川重臣の一人、大久保忠世(渡辺哲)がこぼして言うには、何やら大量の丸太を必要としているとのこと。万千代は、井伊家に材木の手配を命じて欲しいと、そして自分に初陣の機会を、と申し出たのでした…! 果たしてそううまくいくのでしょうか…?
次回は衆院選挙のため午後7:10からです!
 
 



大河ファンのために(=^^=)
【四天王に匹敵する重鎮!大久保忠世】
 今回、渡辺哲が演じ、順番で最後に草履をはく人として登場した大久保忠世(ただよ)
徳川四天王(酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政)には入っていませんが、弟の大久保忠佐(ただすけ)と一緒に徳川16神将として数えられており、間違いなく四天王の次くらいに活躍した武将です。
 
代々松平(徳川)家に仕え、忠誠心のあつい武功派。性格は、武功派のわりに非常に寛大で知られていました。それが分かるのが、永禄6(1563)年の三河一向一揆。一揆勃発で松平家が分裂してしまいましたが、やがて忠世たちの活躍もあって家康が一揆を鎮圧しました。すると、忠世は一揆側に付いた者のために奔走して家康にとりなし、そのお蔭で松平家に復帰できた武将もいたのです。本多正信もその一人。
正信は大久保家に大きな借りがあるはずでしたが、ずっとあとの慶長19(1614)年、忠世の嫡男・忠隣(ただちか)を大久保長安騒動(冤罪か?)などを利用し失脚させており、正信の陰気な感じ、悪だくみしてそうな印象につながっています。
 
 
【信玄も信長も秀吉もみんな大久保忠世を激賞!】
 元亀3(1572)1222日、三方(みかたがはら)の合戦にて、徳川家康は武田信玄に完敗しましたが、その夜、いち早く態勢を立て直した大久保忠世は、三河三奉行の一人・天野康景と連れ立ってわずか100名ばかりで武田の陣に夜襲をしかけました。驚かす程度の効果しかありませんでしたが、てっきり「徳川は脅えきっている」と思い込んでいた信玄は大喜び()です。「さても豪気かな、今宵の夜討ちは天晴(あっぱ)れ!」などと、忠世らを誉めたたえたのでした。
 
天正3(1575)年5月21日の長篠(設楽ヶ原:したらがはら)の合戦では、忠世は300余りからなる鉄砲組を指揮し、さらに格闘戦にも挑みました。忠世の金の揚羽蝶の旗指物は乱戦の中でもよく目立ち、これを見た織田信長が「大久保兄弟の働きは良き膏薬(こうやく)のごとし、敵に付いて離れぬ膏薬侍なり!」と賞讃。合戦のあと、信長から衣服を与えられ、家康からは法螺(ほら)貝「長篠」を与えられたのでした。
 
まもなく忠世は遠江の二俣(ふたまた)も与えられ、その後も活躍を続けます。
時は過ぎて天正18(1590)年、豊臣秀吉による小田原攻めの際、関白秀吉は各武将の陣を見てまわりました。秀吉は「忠世の陣屋はことのほか立派である。忠世の布陣と攻法は天下無双…!」とまで激賞し、忠世の陣所で食事したのです。こうして攻略した小田原城は、忠世のものとなり、二俣城から移って4万5000を差配(さはい)することになったのでした。
 
 信玄・信長・秀吉と、時の頂点に立つ人物からたたえられ、もちろん家康からも重宝された忠世は、四天王に勝るとも劣らない名将だったのでした。
●天文元(1532)年~文禄3(1594)年9月15日:享年63
 
  ~主な参考文献~
編:阿部猛・西村圭子『戦国人名事典 コンパクト版』(新人物往来社)
山本純美『徳川家臣団事典』歴史群像シリーズ22号「徳川四天王」特別付録(学習研究社)
歴史群像シリーズ11号「徳川家康」(学習研究社)p.74
歴史群像シリーズ22号「徳川四天王」(学習研究社)p.162
小和田泰経『戦国合戦史事典 存亡を懸けた戦国864の戦い』(新紀元社)p.194
「歴史読本653徳川家康と十六神将」(新人物往来社)p.巻頭カラー
 
 

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     清水しゅーまい


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コメント

No title

今週は見ましたNICE

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☆ぎいさん
NICEありがとうございます(^-^)
見ましたか!
次回は長篠の合戦で期待ですね☆彡

No title

大久保家と大窪家は関係あるのかな?

No title

こんばんは。
誰がくるのかと思ったら鈍くさそうなオジさんでしたが、まさかの本多正信とは!
大久保家も後々まで続いてゆく家系となりましたね。

No title

☆nob*****さん
大久保家と大窪家…、
どうなのでしょうねぇ
常陸の佐竹の重臣に大窪という武将がいて
活躍したのですけども
大久保と関係あるのかは分からないです。
大窪家は佐竹と一緒に秋田へと移ったので、
もしかしたらですが、秋田に多い家名かも…?
そのうち、NHKの古舘伊知郎の名前番組で採り上げられるかも…(笑)

No title

☆ハニー先輩さん
本多正信、
やけに親しみやすい感じでしたね(笑)
大久保家、小田原から一時どかされましたが
のちに復帰して明治へ至ったそうなので、
忠世の功績が大きかったのだと思います。

No title

え~あの大久保様って北条の後の小田原藩主だったんですか?
全然知らなかったです(笑)

確かに大久保神社とかあるし、一夜城跡の近くは大窪という地名があり、大窪小学校があります。

秀吉の小田原攻めは何度も描かれますけど、その後の小田原の情報なんて物語には登場しませんよね。

調べてみてびっくりです(笑)

オールポチでーす(^^)

No title

☆Parlさん
オールポチいつもありがとうございます(^-^)
小田原に大久保神社や大窪という地名ありますか…!
それは大久保家の関係ですね、きっと(=^▽^=)

「小田原北条」の呼び名が大き過ぎて、
北条家が滅びてからの小田原はピンときませんね(^ ^ゞ
今現在は美味しい店が多い街でしょうか(^ ^)?

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ご訪問ありがとうございます(^-^)
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清水しゅーまい
【著書】
『車猫が出てきた! ~ノラ猫の秘密~』2018年(東京図書出版)
『八っつぁんの落語一代記 噺家の来た道、日本の来た道』2015年(彩流社)
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